近畿労災年金支援センター
訪問時のエピソード(東京2020オリンピック)
Kさん(滋賀県在住)せき髄損傷
私は滋賀県の稲作農家の次男として生まれ育ちました。高校時代は野球に明け暮れる毎日でした。
28歳のとき、事故で脊椎を損傷し車椅子生活を余儀なくされました。生活は一変
し、大好きだった野球もできなくなりました。そんな時、私を家から連れ出してくれたのは同じ障害を持つ車椅子バスケットの仲間でした。初めは上手く出来ずやめたいと思うこともありましたが、仲間のおかげで、続けていくうちに楽しくなっていき車椅子バスケットを通して全国に仲間ができました。バスケットを始めたことで体力と自信が戻り仕事も始めました。平日は会社員として仕事をし、週2、3回は車椅子バスケットの練習、月に数回は週末に遠征するという生活を送っています。
2019年、オリンピックの聖火ランナーに応募し当選しました。また、初めての子供も妻のお腹にいました。生まれてくる子供のためにも父親の頑張っている姿を見せておきたいと思いました。
そんな中、コロナ禍によりバスケットの練習もあまりできなくなっていました。楽しみにしていたオリンピックは一年延期され、聖火リレーは2021年5月に実施されることになり、リレー当日は、父の伴走で聖火を繋ぐことができました。延期されたおかげで、2019年に生まれた娘も1歳8か月になっていて応援を受けることができました。
現在、福祉講演会の講師や2025年に開催される滋賀県障害者スポーツ大会の準備など、障害があることを忘れるほど忙しい毎日を送っています。
両親やバスケット仲間への感謝の気持ちを、自分の活動を通じて障害のある方や未来ある子供たちに伝えていければと思っています。